変化を与える考え方
「何をしたらいいかわからない。」
「言ってることが、わかるようでわからない」
「自分には同じようにできない」
こういった不安は多くの人が抱える、解決の糸口が見えない難問のようなものだと思ってるので、それについて、解決策と言ったら大袈裟なちょっとした考え方のはなし。
ずばり、アプローチすら思い付かない時は変化を与えてみるといいかも。
変化というのは、いつもと違うことをしてみるということ。
自分にもできることを、ちょっと違う強度、回数、時間、時間帯、方法etcでやってみること。
意図的にずらしてみると今までのやり方との距離(=違い)が見えてくるかもしれない。
すると、客観的というか、今までのやり方の特徴やクセ、練習なら効果が見えてくるかもしれない。
あなたが得意なやり方、楽しくなるやり方、続けやすくなるやり方も見つかるかもしれない。
誰かに言われたやり方、考え方を言葉で聞いてもあなたはその人ではないのだから全く同じようにはできない。同じようにできるとしたら結果だけ。いや、もしかしたら結果も同じようにはならないかもしれない。
それでも、その人から得るものがあるなら自分に取り入れてみればイイコトあるかも。くらいの気持ちで。
あと、運動とか絵とか言語とかできる人の感覚的な話はできる人にならないと分からないことがほとんどだから、その気持ちがいつかわかるかもしれない程度にして頭の片隅に追いやるのが吉だと思ってる。
いつまでも真に受けてると「そんなのわかんねぇよ。」「テメェができるからそう思ってるだけだろ」「ワケわからん説明すんな」「この○○○○」みたいな気持ちになるから。
「すぐやる!」(菅原洋平著)という本によると「わざ言語」と呼ばれてるらしい。
あなたには日本語がわからない人の「感覚」がちゃんとわかりますか?あなたができるようになった何かに関して、できない人の「感覚」がわかりますか?
できるようになると、できなかった頃の感覚は理解できなくなってしまう。
ああピカソになりたい。
勝手にやることとそうでないこと
放っておいてもやるなら、それによって得られる効果はわざわざ他の時間を使うまでもない。
これに対してそうでないことをするには工夫がいる。
当たり前なんだけど、これを理解しないで計画を立てると余裕がなくなって破綻の一因となる。
あとは、放っておいてもやることは気分次第で変わりうるという点も頭に入れないといけない。
何もしたくない日があって、逆にやる気にあふれる日もある。
だから、これの改善方法として予備日がある。
できないという前提で予定を立てる。
それと、自分が必ず従う絶対的な指令機関をつくるのもいい。
今はサイコロの出た目によってやることを決めている。
というわけでサイコロを振ってくる。
描くことは効率的
いままでの受験勉強ではの書くよりも読んだり発音の方が効率がいいことが大半だった。
しかし絵を描くことに関しては再現性という技術という面の重要性が大きいため、知識とそれのすり合わせをする必要がある。
だから、必要なパターンや知識は描かずに身に着けることができるものであっても実際に描くことが最終的には必要になってくる。
つまり、描くことは知識と技術の両方を同時に身に着けることができるという面でに効率出来だと思う。
どちらかに偏るのは成長を阻害してしまうが、時間的に見れば、読むことより時間のかかる描く方の時間の割合が増えることになる。
正確な時間は分からないしその時々だが、今の自分では描くことをもっと多く、もっと多くと唱え続けても足りないというくらい。
まあ、知識と技術だけの二つで片付けられる話ではないのは分かっているので、これは悩む時間を減らすための考え方。
まずは、やるかやらないか。そしてやりながら考える。
今日はこの辺で。
結果を見て過程を読み解く。
模写の際、参考の絵は結果で、過程はそこから想像するしかないですよね。
絵の知識が増えれば、過程が徐々に絵から読み取れるようにはなるかもしれないけど、特に初めたばかりの頃はどうやって描いているのかなんてわからない。
この時の「分かんない」ってのは、良いことでも困ったことでもあるかもしれない。
自分にはないものを取り込めるというメリットを含み
過程が分からないから結果の形を真似るしか手立てがないというデメリットも含む。
だから、現状の能力、伸ばしたいものによって選ぶべき絵も違う。
たぶん模写には向いてないイラストもある。
だから、常に絵に対しては「自分はこれ(以上)が描けるのか」という問いと「なぜこの絵は見た人をこういう感情にさせるのか」を投げかける。
そして
・今の自分に足りない、欲しい要素を含む。
・模写で得ることができる。
を満たすことを確認し
ラフ模写、精密模写、部分模写、どのようにするのがベストかを判断する。
こうやって足りないものをとにかく自分に取り込む。
これは、結果への過程が同じ、同一作者でまとめて模写することになりやすい。
そして、描いていくうちにその人の好きなパターンもなんとなく見えてきて、マネできることできないことに気づくことになる。他人を知り自分も知る。これも成長になる。
つまり、今日の話をまとめると、
自分に足りないものを摂取できる方法を
常に探し考え
常に実行する
何度目の質なの量なのという話
質なのか量なのかという話。
まず、結論は
両方できるのがベスト
でも、どっちも同時にはできないだろうから、目的に応じて定期的(一日内で混ぜたり、月単位でしたり色々)に繰り返すのがいい
ですね
質×量が最大になるように努めるのがいいと思うんだけど、それがベストとは限らないし、それだけで結果の最大化が図れるほど単純じゃないかと。
質はそこそこに量を追い求めて得られる経験や能力
量を抑えて質を追い求めて得られる経験や能力は違うものだと。
それに、質を求める過程を経てその質を維持しながら量を求めていく。そんな成長の仕方だってありますから。
具体的な例で考えれば当たり前の話かもしれませんが。。。
一つのやり方に固執してはいけませんね。
楽な方に傾いてるなと思ったら、目的を思い出してその練習の意味を再確認すること。
では、今日はこの辺で。
描いていく過程で思うこと。
一週間くらい前から心血注いでイラスト描き始めたんですよ。
イラストの練習って最初何をしていいかわかんないんですよね。
それで、これからどのようにイラストを上達していくのかを自分なりに少し調べたり考えたりしたのでまとめます。
イラストをよく知らない人から見れば全てが「センス」「才能」という言葉で片付けられてしまうのかもしれません。
もちろん、自分のこれからの努力ですべての素晴らしいイラストレーターと同じ絵を描けるようになることは無いと思います。
しかし、必要なプロセスを踏めば誰かの好きなイラストレーターの一人になることはできると思います。
なぜそう思うのか?
理由はいたって簡単です。
理由の一つとして誰にでもわかることを上げるならば、最近Twitterなどでハッシュタグ付けされてる
「#画力ビフォーアフター」
10年くらいからここ数年までの変化を見て取れるかと思いますが、好きな絵師の絵を見てみて全ての人の絵が昔から上手かったでしょうか?
また、全てのイラストレーターの絵が同じように変化していったでしょうか?
そう、昔と今の絵の差を埋めるのは他の何物でもない「その差を埋めるための練習」なのです。
当然必要なことは個人で違います。
吸収率の差。時間の差。感覚の差。
昔から上手いという人もいるかもしれません。
それでも、そこにある差を言葉にして理解することができればそれをどうにかするプロセスの第一歩となります。
上手い、良いという事を感じるだけでも、伸びしろはきっとあります。
プロが絵を描くにしても、そこに数えきれない試行錯誤があり、それを改善させるための何かがあったはずです。
最近はメイキングも動画やデータとして公開されています。
間違いなく、その試行錯誤の過程を知ることは自分の成長につながると思っています。
では、次に自分はどうするのかという話です。
正直細かいことはまだまだ勉強中で、広いイラストの世界は知らないことだらけですがそれを知るということも目的にして行動しています。
大きな2つの力
まず、イラストをうまくなるためには大きく分けて二つのことが必要で、さらにそれぞれの中でもいくつかに分かれると考えました。
1、「知識」
2、「技術」
いや、大きすぎだろ!って声が自分の中からも聞こえますが、これは非常な大事なことです。なぜなら、これは、それぞれを習得するための環境が異なるからです。
1の「知識」は本かネットを見れる環境ならたいてい学習できます。
それに対して
2の「技術」は道具(デジタルならPCや液、板タブ)と机等の環境が必要です。
(細かいことを言えば、最近はスマホにも便利なペイントソフトが入ったりもして割とどこでもできるかもしれませんが、これらは、アイデアスケッチだったりといったものとしての用途がメインで「ちゃんと」描くためにはそれなりの環境が必要な気がします。)
つまり、1はいつでもできるけど2は限られているんです。
だから、2を優先、それができない時に1を行うといった配分にするのがまず時間を使う上での基本となります。
そのうえで、自宅にいて知りたいことがあれば知識を吸収するなどのバランスを取ることが必要です。
これは、自分の(失敗したものの)受験の経験が確実に生きてきます。
まず「目標を分解する」こと。
そしてさらに分かれるのですが今日はもう時間がないのでまた今度にしますね。
最後に好きなセリフを
無理だとか無駄だとかいった言葉は聞き飽きたし 俺達には関係ねえ
そうです。関係ないんです。無理だとか無駄だとかは。